1.2実家に帰った。

川崎生まれ!!!川崎育ち!!悪い奴らはだいたい私のいじめっ子!!室戸いちかです!!!

いじめるな!!しょもないᐡ ᴗ ̫ ᴗ ᐡ

私はただ集団行動が嫌いで、いろんな音をだすうるさい中にいるのが苦痛で、嘘が飛び交う会話がくだらなくて…(当時の私尖りすぎね)

対応できない、ノリの悪い奴は弾こうぜって流れに従って隅っこに落とされただけなんだ…。

みんな間違ってないんだよ。

それぞれの「こうやるべき」に従って生きていただけなんだよ。

嘘をつく人にも理由がある。そう言わないと「友達」に離れられてしまうとか、自分を保てないとか。私からしたら嘘で自分を作っている行為なんだけれど本人は違う。

まぁそんなちぐはぐな世界が嫌いでした。学生の頃は毎日が苦痛で意味不明で聞いても答えのない世界でした。だから誰も信用しませんでした。

あの生活の中では教科書さえも嘘をついている気がしました。

その時逃げ込んだのは実家からすぐの多摩川でした

歩き回ったり、自転車で東京まで行ったりもしました。(多摩川は東京と神奈川の間を流れていて電車や道路の橋がいくつもかかっている)

ここからは小学生の私の話です。小学生ね!

多摩川にいるときは誰も何も言ってこない。

散歩してる人やジョギングしてる人を見ていても怒られない。避けられない。私がここにいるようでいない。

だけれどそれはいじめなんかのマイナスな空気じゃない。イオンだった。

スッと軽くなる、爽やかな気持ちになる。そうか、これがリラックスかぁ。なんて思う。

人間とうまく付き合えない(小学生の私は音に敏感すぎて子供特有の声の高さとかが合わなかった、教室のざわめきとか避けてた)

自分のことを自分で説明できない。

例えばあの人のこと好き?と聞かれたら好きか嫌いかを答えたら良いが「○○してるときのあれは好き」「でも○○のことを○○してる時は嫌い」と割り切れない感情があって判断できなかったり。

脳内とても長い考察が繰り広げられてるんですね。

嘘をつきたくないあまりに。

私が会話がスムーズにいかない時はこれが起きてます。でも大概の人はあぁ、もういいわってきって行っちゃうんですよね…うざいから。

適度で良いよって私にとって怖い言葉なんですね。「え?それくらいなの?」って言われた時に「いや違うんです…」って訂正したくなってしまったら私は嘘を申告したことになるから。

なんども友人関係でうまくいかず

多摩川の河川敷で泣いていた。ずっと独り言を言っていた、脳内整理のために。どうしてそう言われたのかをきちんと理解するために。向き合うために。

直したかった。私が悪いんだ、私が変われば解決するんだ。そうしたらあの子から負のオーラはなくなるんだ。ストレスをかけているんだ。邪魔したらダメだから変わらなきゃ、変わらなきゃ、できる子にならなきゃ。

何年もかけて人間(同級生、先生)に向き合い続けてた。私は真剣だった。

そして言われたのは「怒ってんの?」や「あいつ生意気」だった。

時期こそ違うものの先生にも「反抗的だ」と怒られたことがある。

鏡を見たら眉間にシワがついてた。まだ小学生なのに。くっきりとシワが深く入っていた(今も跡がまだある)

真剣に考えて向き合って、私は人間関係の構築を成功できずに終えてしまった人間なのである。ただひたすらに真っ直ぐな関係を築き上げたかっただけなのだ。

🫑バカな素直さや裏を返せば人を傷つけないと言う面白さに友人になってくれる人もいた。🫑

けど私には可愛げがない、あざとさがない。

必要のない世界にいたので学ばなかった。私は学生時代ほぼ笑わなかった。無口でもあった。

必要な嘘というのはある。「ジョーク」である。これもまた難しい。加減タイミング間合いで壊れるから。

さんざん棘ある言葉を投げ、突き刺しながら、最後にたった一言「じょーだんだよぉー」で終わらせられたことがある。心がパリパリさらさらチクチクした。

私は家族にそれを言わなかった。

学校が苦しい、日常が辛い、この脳内が嫌で投げ捨ててしまいたい。軽くなりたい、と。

家族には言えないな事情もあった。私は誰も信用していなかったためである。

そんな八方塞がり小学生は現在ぱぴぃとコーヒーを乾杯する様子を写真に撮るファザコンに成長している。

中華の料理人で夜は帰りが遅く、私が寝た後に帰ってきてそっと寝顔を覗いていくだけの人だった(知ってたよ)

父から愛されているのは感じていた。1番信頼できそうな人だった。ただ帰りは遅く向こうも無口なのでどうという行動も取れなかったのだ。

父がお休みで家にいる時は私はそばをくっついて回っていた。一緒に多摩川へお散歩もした。コンビニに寄っても何も買ってもらわなかった。ただいてくれたら良かったのだ。

何年もそんな日々を過ごしていても

私の心は壊れていた。

机に向かっている時急にボロボロと泣いている時があった。

ある日たまたま父が遠くから見ていて駆け寄ってきたことがある。あの無口の父が割と大きめな声で「どうした!?」と肩をさすりながら言った。

私はもっと泣いた。首を振りながら何もないよとか細く答えながらバーバー泣いた。

結局泣いた理由は言えなかった、自分でもわからなかったから。相変わらずである。

それがあってから父はお休みを私と過ごしてくれるようになった、ボーリングも行った、海も見た、多摩川で丸い石を見つける勝負もした。

岸でお亡くなりになってた鯉を掴んで「見て!՞ ̳o ̫ o ̳՞」って持って行った時はちゃんと優しく叱られた。

お祭りも父と行った。周りは同級生だらけだった。

でも恥ずかしくなかった。

1番私を理解してくれている人と時間が過ごせていることが誇らしかった。心地が良かった。

父は父だけれど、私の友達になってくれた。

だから私まだ生き延びてるんだと思うのᐡ ᴗ ̫ ᴗ ᐡ

はぴぃはね、島から1人で上京して、専門学校入って、国家資格とって料理でずっと生きてるんだよ。かっこいいんだよね。やりたいこと貫いてて。

尊敬してます。

ぐちゃぐちゃの私の心に気づいてくれてありがとう。

ごめんね、まだ全然生きづらい。

でもね、ぱぴぃ聞いて!愛を届けてくれる人が沢山いるんだよ。すごいよね!!

名前を呼んでくれるよ。褒めてくれるよ。時間を割いて向き合ってくれるよ。微笑んでくれるよ。

怖いんだ。

沢山とか少ないとかじゃなくハッピーな気持ちを向けてくれることが、私には怖いんだ。

でもね、あの頃とは違うからね。

信じてみようと思うの。

あとね、返していこうと思うの。

私、変わるからね。

愛を受けることはすごく怖いけれど

なくなってしまう気がして怖いけれど

嬉しいってこの気持ちに素直に。ありがとうって。それが儚くなくならないように信じようと思う。

日々努力しようと思う。

そばにいてくれるあなた、ありがとう。

見守ってくれるあなた、ありがとう。

ニコニコってしてくれるあなた、ありがとう。

成長をおしえてくれて、支えてくれて、応援してくれて、ありがとう。

不器用なのは言い訳ですね、ごめんね。

頑張ります!ᐡ ᴗ ̫ ᴗ ᐡあなたといられるように。

ぱぴぃと同じくらい愛するからね。

長すぎるよね!!ごめん!!読んでくれてらびゅ!!ありがとうっ!!!幸せ者室戸いちかでした!!

(chu!重すぎてごめん💋)