國安がまだ札幌にいた頃

國安はすごく控えめな子供でした。

お出かけ先で祖父母から「何食べたい?」って聞かれても「いらない」って答えちゃう子でした。小学生にあがって二年間友達が作れず、お母さんと先生が心配して、先生が掛け合って放課後に遊ぶ約束を作ってくれたりしました。「國安さんを遊びに誘ってあげて」とクラスメートにお願いしてくれていたらしいです。時が経ってから連絡帳の親と先生のやり取りを見てすごく心配かけていたんだなって…。

自分のことが、当時から大嫌いでした。

だから、他人から褒めてもらうことがすごく好きでした。褒めて貰えるように勉強とか色んな所で真面目に生きていました。

幼稚園の頃にお遊戯会でやったシンデレラ。

ドレスが着たかった私は(シンデレラはボロボロの服のシーンかドレスのシーン、どちらに当たるか分からなかったため)意地悪なお姉さん役を選びました。

シンデレラが綺麗なドレスで舞踏会に現れるシーン。セリフは「シンデレラがこんな所にいるはずないじゃない!」でした。

自分でもびっくりするほどすごく大きな声が出ました。観ていた親御さん達はどよめきました。他のクラスの先生も、終わったあとにすごく褒めてくれた。それがすごく心地よかった。

教室のすみっこで小さくなっていた私が、人前に立って、みんなが驚く。私以外になることで、嫌いな自分を忘れられる。

それからは、クラスでは静かなのに人前に立つことが好きという意味のわからない成長の仕方をしていきました。

将来について考えた時に、親が会計事務所で働いていたので税理士になろうと思い、専門学校に進みました。

毎日9時に学校に行き、夜の10時まで学校で勉強をしました。頭はそんなに良くなくて、容量も悪かったので、量をこなすしか無いと思って必死に毎日勉強しました。

お陰で日商簿記1級を、簿記を勉強し始めて半年で取得、その後簿記論や財務諸表論なども取得しました。

舞台を観るのを辞めました。羨ましかったから。歌番組も羨ましくて見るのを辞めました。

たくさんの物を捨てて、ずっと合格し続けた私が、4年生の時に受けた消費税法の試験で初めて落ちました。急に糸がプツンと切れてしまいました。「こんなに頑張ったのに落ちるんだ…」「これをあと3回合格しなければいけないんだ…」「私がこれ以上頑張っても一生受からないかもしれない」そう思ってしまいました。

それからはテキストを読もうとしても文字が頭の中で滑って読めなくて、頑張ろうとするほど涙が出て過呼吸になって授業を抜け出すようになりました。

ボロボロになってから、どうして頑張れないんだろうって沢山沢山考えて、「親に褒めてもらうため頑張っていた」ってことに気づきました。税理士になったら、お父さんと一緒に仕事ができて喜ぶなってそう思って、税理士の道に進もうとしていたなって。

そんな時、A応Pのオーディションがありました。

A応Pのあにむす!という番組は、私が鬱っぽくなった時、娯楽として観られた数少ないうちの1つでした。

自分と同世代で、アニメヲタクである女の子達なのに、一所懸命で、それでいてキラキラ輝いていました。その女の子達に救われていたし、尊敬していました。

アイドル、いいなぁ…って思いました。私もあの中でキラキラしてみたいって。

年齢もギリギリ、容姿にも自信なかったし、なんにも誇れるものは無いなって思ってた。それでも、挑戦してみたかった。

書類を出したけど1次審査も通りませんでした。

これに落ちたら、諦めて受験頑張って就職しようと思ってた。

……けどそうならなかったのはまた別の話。

今日はここまで。